当麻寺

伝説の霞につつまれているが、推古天皇の20年(612)に用明天皇の皇子、麻呂子親王が御兄聖徳太子の教えによって、河内国山田郷に一寺を建て丈六の弥勒仏を安置し、 萬法蔵院禅林寺を草創された。70年余り後、親王の孫にあたる當麻国見が、役小角練行の地に遷造し、天武天皇9年即ち白鳳9年(681)2月15日に起工した。 同16年に至って、金堂、講堂、千手堂、東西両塔その他ことごとく成り、百済の恵潅僧正が導師となって、諸堂諸仏の供養を修し、寺号を當麻寺と改めた。

東塔・西塔 国宝

(奈良時代/奈良時代-平安時代) ともに三重塔。先に建立された東塔は、當麻寺に現在残っている最も古い建造物です。西塔はやや遅れて作られているので、様式にも変化が見られます。 古代の東西両塔が残っているのは全国でこの當麻寺だけです。内陣には大日如来さまがお祀りされています。

本堂(曼荼羅堂)国宝 

(天平時代-藤原時代)お堂の内陣(ないじん)は天平時代の様式をそのまま残し、そのお堂を取り込む形で永暦年間(平安の末)に外陣(げじん)等が拡張されました。 ご本尊として當麻曼荼羅が巨大な厨子(国宝・天平時代)の中に収められ、源頼朝寄進の須弥壇(国宝・鎌倉時代)上に安置されています。 その他、十一面観音立像(弘仁時代)、来迎阿弥陀如来立像(県文)、弘法大師三尊張壁、役行者三尊坐像、中将姫坐像などが拝観できます。     

金堂

(鎌倉時代)當麻寺の本来のご本尊・弥勒さまをお祀りするお堂。荘厳な白鳳仏を拝観できます。 弥勒仏坐像(国宝・白鳳時代)は日本最古の塑像(そぞう)。周囲を守護する四天王のうち、持国天立像、増長天立像、広目天立像の3体は、 日本最古の乾漆像。多聞天は鎌倉時代の木像。いずれも袂の長い隋以前の様式を伝えており、西域の武人を思わせる凛々しいお姿をされています。 お堂は鎌倉時代の再建。 

講堂

(鎌倉時代)金堂に次いで建立されたお堂ですが、平安時代末に焼失し、鎌倉時代に再建されました。 主尊の阿弥陀如来坐像(重文)は藤原時代の丈六仏で、定朝様式を伝える美しい像です。脇には、珍しい妙幢菩薩立像(弘仁時代・重文)や、 伝阿弥陀如来坐像(藤原時代・重文)、地蔵菩薩(藤原・重文)など、平安時代-鎌倉時代の仏像群がお祀りされています。

大方丈

趣の異なる花と鳥の浄土世界を表現 平成30年秋、日本画の巨匠 上村淳之画伯によって當麻寺奥院「大方丈」に奉納された「花鳥浄土」。 30枚60面からなる大作は、大方丈の六室に趣の異なる花と鳥の浄土世界を表現しています。

當麻寺練供養

「當麻寺お練り」「當麻れんど」「迎講」と呼ばれるもので、寛弘2年(1005)叡山横川の恵心僧都が、「當麻曼荼羅を帰依し、中将姫の昔を慕って聖衆来迎の有様を見んがために、 二十五菩薩の装束と仏面を作って、寄進したのにはじまる。」と伝えられる。以前は、中将姫が生身往生した旧暦3月14日に行われていたが、現在は、4月14日午後4時より行われる。 曼荼羅堂を西方極楽に擬し、その東方にある娑婆堂を人間界とし、その間、約100mの長い来迎の橋を渡す。まず中将姫の輿を極楽から現世の娑婆堂に移し、 次に極楽浄土から二十五菩薩の聖衆の面や衣装を着けた人達が、人間界へ来迎し、そして、中将姫は観音菩薩の捧仕する蓮台に迎えられ、 再び極楽浄土へと帰って行く儀式で、来迎引接の有様を再現する。.