法隆寺

法隆寺【世界遺産】 (以下 法隆寺資料より抜粋)
法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。 推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。 法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇り、とくに1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本で初めて登録されるなど、 世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています。

中門【国宝】飛鳥時代

西院伽藍の本来の入口となる中門の深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。 重厚な扉と左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。

南大門【国宝】室町時代

法隆寺の玄関にあたる総門です     

五重塔【国宝】飛鳥時代

わが国最古の五重塔として知られています。この最下層の内陣には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、 東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅(涅槃)、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法が表現されています。 

金堂【国宝】飛鳥時代

法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、 用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、 それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています。 そのほか木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安時代)の諸像が安置されています。また天井には、天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊され、 周囲の壁面には、世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在は再現壁画がはめ込まれています)が描かれ、創建当初の美しさが偲ばれます。

大講堂【国宝】平安時代

このお堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されましたが、 鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られています。
  

廻廊【国宝】奈良時代

回廊は東側の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っています。 平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていました。 また西側より東側のほうが一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられています。
  

東大門【国宝】奈良時代

「中ノ門」ともよばれるこの門は、西院と東院の間に建っています。かつては鏡池の東側に南向きに建っていたようですが、 平安時代ごろに現在の場所に移されたといわれています。この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです

夢殿【国宝】奈良時代

夢殿の本尊「救世観音像」は聖徳太子等身の像と言われ、明治初年までの数百年間、白布にくるまったまま秘仏とされてきました。