西国十五番札所 新那智山 今熊野観音寺

泉涌寺の塔頭で、正しくは新那智山今熊野観音寺という。西国三十三カ所観音霊場第十五番目の札所になっている。 空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当時のはじめというが、斉衡年間(854~857)を左大臣藤原緒嗣が伽藍を造営したとも伝える。 文暦元年(1234)後堀川上皇を当寺に葬るなど、歴朝の崇敬を得て栄えた。伽藍は応仁の兵火で焼失したが、その後復興されて現在に至っている。 本堂には空海作と伝える十一面観音像を安置する。寺城は幽静で、郭公鳥の名所として名高く、本堂背後の墓地には慈円僧正・藤原忠通・同長家の墓と称せられる見事な石造宝塔三基がある。

京都市東山区泉涌寺山内町32
地図参照ください

泉涌寺

泉山と号する真言宗泉涌寺派の総本山である。寺伝によれば、当地には天長年間(824~833)に弘法大師によって建立された法輪時(後に仙遊寺と改称)があったが、 健保六年(1218)宋(中国)から帰朝した月輪大使師(俊じょう)が再興し寺名を泉涌寺と改めたと伝えている。以後歴代天皇・皇室から厚い崇敬を受け、 皇室の御香華院(菩提所)として栄えた。広い境内には、仏殿、開山堂、舎利殿、御座所、霊明殿など数多くの伽藍が建ち並んでいる寺宝としては、 国宝の泉涌寺勧縁疎の文書のほか数多くの貴重な文化財を蔵している。

仏殿

寛文8年(1668)に徳川家綱により再建されたもので、重層入母屋造り本瓦葺、唐様建築の代表作。内部鏡天井には狩野探幽筆の龍図が描かれている。 仏殿内陣には伝運慶作の釈迦・弥陀・弥勒の三尊仏が安置されている。