西国十八番札所 紫雲山 六角堂 頂法寺

京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248
地図参照ください

六角堂由緒

草創 用明天皇二年(587)聖徳太子建立 紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから 一般に「六角堂」のなで人々に親しまれている。 太子 大阪四天王子建立のため用材を求めてこの地の入られた時 夢に霊告をうけ杉の大樹によって六稜の堂を建て自らの護持仏をここに安置された本邦  伽藍建立の最初であるところから頂法寺という 天治二年初めて炎上其後度々類焼し官営十八年の再建には朝廷より陣座御殿の御寄付を得て本堂山門築地等を復興した今の御堂は明治九年に再建  創建以来一四〇〇余年 本尊 如意輪観世音菩薩(御丈一寸八分) 聖徳太子の護持仏で六角堂再建の後は本尊として祀り其の守護を小野妹子大臣に命ぜられたと伝える  妹子は入道して専務といい太子沐浴の池のかたわらに坊を営んだので坊号を池坊という 以来子孫が当寺住職として守護し今日に至っている本尊脇仏には木像地蔵菩薩像  毘沙門天立像(藤原時代作 重要文化財)等を安置する 西国霊場 長徳二年(996)正月 花山法皇 当寺に行幸される これが西国巡礼の始めで  当寺は現在西国第十八番の霊場であるまた後冷泉天皇諸国の大寺に仏舎利一粒ずつを納められるにあたって当寺より始められたと伝えられ居間も舎利塔が現存する

太子堂

聖徳太子御作二歳像(南無仏)を祀る

鐘楼堂

慶長十年豊太閣の臣 堀尾吉晴の息忠氏が寄進 昔は水難火難の際この鐘をついて急を知らせたという鐘は第二次大戦に献納 現存のものは昭和二十九年に再鋳復元     

へそ石

桓武天皇の延暦十二年(793)京都へ遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったので天皇が遷座えを祈願されたところ御堂がにわかに5丈ばかり北へ退かれたという。 この石はその際に取り残された礎石であると伝える。また京都のほぼ中央に当たるところからへそ石とも要石とも呼ばれている

聖徳太子沐浴の古跡

用明天皇の二年(587)生得太子は四天王寺を建てるための用材をたずねて ここ 山城国愛宕郡のそまに入った  夕方御持仏を多良の木に懸け 泉で沐浴をされた。浴後枝にかけた持仏が木から離れず 光をはなって「我は汝の本尊となって七世を経たが  ここは衆生に利益を与えるにふさわしい地であるから御堂を建ててほしい」というお告げがり、この地に六角堂が建立されたと伝える古跡である。