西国九番札所 興福寺 南円堂

興福寺は、天智八年(669年)、藤原鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために、 夫人の鏡女王が山階に建てた「山階寺」に始まる。後に飛鳥の地に寺を移し、奈良に移って「興福寺」と呼ばれるようになった。
第九番札所の南円堂は、弘仁四年(813年)の創建。藤原内麻呂が一族の繁栄について弘法大師に尋ねたところ、観音像をあたえられた。 持仏堂に安置していたが息子の冬嗣がその観音の恵みを広く人々に分かちたいと、興福寺の西南に白銀で造った千の観音像を埋めて地鎮とし、八角堂を建てて安置した。

奈良市登大路48
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興福寺

興福寺は、藤原氏の氏寺として和銅3年(710)の平城遷都とともに建立、五重塔、三重塔、東金堂、南円堂、北円堂などの建造物、阿修羅立像や銅造仏頭、 無著・世親菩薩立像、金剛力士立像など多くの国宝・重要文化財が現在に伝わります。                   

興福寺 北円堂(国宝)

北円堂は養老4年(720)に亡くなった藤原不比等の追悼供養のために、元明太上天皇と元正天皇が建立を発願し、長屋王に命じて一周忌にあたる翌年の8月3日に完成させた。 その後火災や南都焼き討ちで失われたが、承元4年(1210)に復興された。興福寺の伽藍で今残る堂宇のなかではもっとも古い。

興福寺 中金堂

中金堂は 創建より6回の焼失・再建を繰り返し、享保2年(1717)に焼失後は「仮堂」でしたが、平成30年(2018)に再建落慶を迎え、創建当時の様式で復元されました。