西国二十八番札所 成相山 成相寺

国道176号線より大型バスも通行できる道に入るが、道は大変急な坂道です。駐車場は山門より上の本堂下にあります。 天ノ橋立は、傘松公園よりもまだ高くにある駐車場よこの弁天山展望台、更に約4k上のパノラマ展望所からの眺めを体験してください。

京都府宮津市字成相寺339
地図参照ください
ここ成相寺は 西国28番の霊場として古くから有名であり 年中参詣人の絶えぬ山である。 寺伝には文武天皇 慶雲元年(704)とあり開基真応上人が何人であるか詳かでないしかしその1千年に余る歴史は対岸文殊堂及び特別名勝「天橋立」と併せて 実に三位一体的存在であるといってよい当山縁起に無遠禅師市鹿肉のことがあり、その他怪異の説話もありいずれも霊場にふさわしいが  殊にかの大江山鬼退治の源頼光が納めた願い文を有しそれに「此の度当国大江山夷賊追討の為勅令を蒙る」云いとあって赤青の鬼賊を想像させる何ものもない 下って足利期には一色対武田の戦いがくりかえされそれはこの霊山の大きい悲しみでありまた償いえぬ損失であったなお当寺に数々の寺宝があってなかでも 「丹後国諸荘郷保総田数帳目録」および兆殿司筆と伝える「阿弥陀像」一幅はともに国の重要文化財に指定されている。

鉄湯船

重要文化財(工芸品) 鎌倉時代正応三年(1290) 鋳物師 山河 貞清 当山湯屋にて湯船として使用していたもので直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れかかり湯をするために用いられたと思われる。 後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられています この霊水は昔より成相山観音水と云われ霊顕あらたかな水であります。 ご入用の方は本堂へ申し出て下さればポリの容器をお渡し致します。     

撞かずの鐘

慶長十四年(1609年)山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。 一回二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時裕福そうな女房が「子供は沢山おるがお寺へ寄付するお金はない」と険しい目色で断った。 やがて鐘鋳造の日大勢の人の中に例の女房も乳呑み児を抱いて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑み児を落としてしまった。 此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を 呼ぶ声 聞いている人は あまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ撞かずの鐘となった。 

西国順礼堂

この堂のなかには三十三霊場のご本尊が安置してあります。このお堂へ参拝されると三十三ヶ霊場巡回と同様の功徳 ご利益があります。

一願一言の 地蔵さん

この地蔵さんは唯一願を一言でお願いすればどんな事でも必ず叶えて下さると伝えられる大変あらたかな地蔵さんです。 安楽・ポックリの往生も叶えられると伝承されています約六百二十年前に創られた大変古いお地蔵さんです。 堂司。

城崎温泉

江戸中期 温泉医学者が天下一の湯と推奨したことから名付けられた湯。この前に飲泉場がある。