西国二番札所  紀三井山 金剛宝寺 護国院(紀三井寺)

西国2番の札所の護国院金剛宝寺こと紀三井寺は宝亀元年(770)、唐の僧為光上人によって開かれました。この寺は早咲きの桜としても有名です。名前の由来は、 三つの井戸『吉祥水』『楊柳水』『清浄水』からきています。
山門をくぐり、すぐの231段の階段をのぼると美しい和歌浦湾が遠謀できます。和歌山城から近くにあるため、歴代藩主が訪れています。

和歌山市紀三井寺1201
地図参照ください

結縁坂

紀三井寺の楼門から上に、231段の急な石段があります。参詣者泣かせの急坂ですが、この坂は、結縁坂(けちえんざか)と呼ばれ、次のような”いわれ”が伝えられています。 「江戸時代の豪商・紀ノ国屋文左衛門は、若い頃にはここ紀州に住む、貧しいけれど孝心篤い青年でした。ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り、観音様にお詣りしておりましたところ、 草履の鼻緒が切れてしまいました。困っていた文左衛門を見かけて、鼻緒をすげ替えてくれたのが、和歌浦湾、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘「おかよ」でした。これがきっかけとなって、 文左衛門とおかよの間に恋が芽生え、二人は結ばれま した。 後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送って大もうけをしたのでした。」と (紀三井寺HPより)

新仏殿

回廊から 和歌の浦、片男波が一望できる

紀三井寺と名草山

南北に山裾を広げ、ゆったりとそびえる名草山中腹に、金剛宝寺護国院こと紀三井寺があります。

片男波と和歌浦湾

奈良・平安の昔から多くの歌人に愛された景勝の地で,万葉人が幾多の歌を詠んでいます。 名前の由来が万葉集の「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」(山部赤人) の「潟を無み」にちなんでいると言われています。 また、片男波は南側1200mの人工海浜の海水浴場がひろがっています。

観海閣

徳川頼宣が慶応年間(1648~1652)に木造の水上楼閣として建立したもので、対岸の紀三井寺と対面しています。 紀三井寺から徒歩約20分で観海閣に、そこから徒歩約10分で片男波に着きます。少し時間の余裕をみて、散策をするといいでしょう。