西国三十三番札所 谷汲山 華厳寺

桓武天皇の延暦十七年(798)奥州の黒川郷富岡(福島県会津高田町)の役人大口大領が京都で十一面観音像(作、文殊大士) を作らせ郷里の奥州へ観音像を持ち帰る途中谷汲のふもとで像が急に動かなくなり大領はこの地こそ結縁の地と考え既にここで修行中の豊然上人とともに寺を建てて観音像を安置した。 この時近くの谷間から仏前に供える灯明の油が湧き出たと云う。それから約百年後に醍醐天皇がこの話を伝え聞き谷汲山の山号を贈るとともに華厳寺の扁額を下賜された。

岐阜県損斐郡谷汲村徳積23
千九百もの長い歴史をもつ長命寺。美しい琵琶湖の風景を望む風光明媚な地にあり、健康長寿を願う多くの人々の厚い信仰を集めてきた。木々の間を渡ってくる風も近江の古刹である。 寺の歴史は古く、人皇の十二代景行天皇時代にさかのぼる。寺伝によれば、長寿の大臣といわれた武内宿禰がこの山に登り、柳の巨木に「寿命長遠諸願成就」と記し祈願した。 後に聖徳太子が訪れた際、白髪の老翁が現れ「この霊木で聖像を刻み、伽藍を建立すれば武内宿禰も大いに喜び、諸国万人等しく崇敬する寺となるであろう」と告げた。 さっそく太子は自ら尊像を刻み伽藍を建立。長寿の宿禰にあやかり長命寺と命名したという。

おいずる堂

菅笠、杖、おいずる、絵馬が奉納されている     

岐阜城

岐阜城は、かつて稲葉山城と称していました。戦国時代には、斉藤道三の居城でもあったところです。 特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄十年(1567)不出世の英傑織田信長がこの城を攻略し、 この地方一帯を平定するとともに、地名も「井の口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地としてからでした。     

三重塔

大正天皇の即位を祝う記念事業として建立された。     

岐阜大仏殿

金鳳山正法寺は、京都宇治黄檗山万福寺の末寺。奈良東大寺大仏の聖徳を敬って、約170年前、ここに大釈迦如来像が建立された。 大仏 像高 13.7m菅笠、杖、おいずる、絵馬が奉納されている